この「秋葉原におけるメイド喫茶・コスプレ喫茶の歴史」は、2005年頃まで更新していた「AKIBA W.C. Headline!!」という秋葉原情報サイトに掲載された記事の一部です。サイトそのものはすでに掲載を取りやめていますが、この記事は参照される方が多かったので、そのまま掲載を継続しています。

この記事は、秋葉原のメイド喫茶・コスプレ喫茶に関するものを収集したものです。情報の散逸を懸念し、2003年当時に急ぎとりまとめたため、ほぼリアルタイムの情報となっています。その16年後である2019年の今から見れば、お恥ずかしい文体・記述もありますが、当時の空気感を残すためにそのままとしました。

2003年当時において、メイド喫茶はすでに話題となっており、日本のサブカルチャー史において特異な一角を占める内容と思われたものの、このブームに注目している人はまだ少なく「イロモノ」扱いされておりました。

このため、当時秋葉原の情報を収集していた私が、ある種の妙な「責任」を感じ、後世のために情報を整理して残したものです。とくにネット発の情報は散逸しやすく、2003年のタイミングを逸すれば、時間の経過とともに情報整理は困難になっていったことでしょう。

お願いですが、当ページの情報を引用する場合は、参照先として明記をお願いします。思いつきでこれらの歴史がかけるはずもなく、これらの歴史をまとめたり、見解をまとめるまでには相当の時間を費やしています。わずかばかりでいいですので、ネットの記事であってもリスペクトをお願いします。

雑誌記事や書籍では、インターネットの情報を「無料」「価値が低いもの」と考えているライターや編集者が多く、当ページの記載内容をそのまま転載し、出典を明記しないものが見られました。とくに2000年代前半は、まだブログもメジャーではなく、インターネットは「よくわからないもの」「あやしいもの」扱いだったこともあるでしょう。(その後にブロガーなどのネット発のスターが現れ始めたのはご記憶のとおりです)

当然ですが、このページに記載した見解はすべて筆者である私独自のものです。文末の参考文献を見ていただければわかりますが、これらの資料を丹念に渉猟することがなければ、当ページと同じ見解にいたることはなかなか難しいものと自負しております。「美少女ゲーム」「メイド喫茶」「秋葉原の変遷」へのすべての目配りがなければ、この理解にはたどり着くことは難しいからです。高飛車な姿勢で恐れ入りますが、当ページや『メイドカフェ・スタイル』(二見書房、2005)、当ページが参考文献とした各種資料の出典明記や言及がないままに同じ見解を記したページは、盗用の可能性があるものとお考えください。

この歴史を記した2003年以後もメイド喫茶の文化が秋葉原から消えることはなく、ひとつのオタク文化として継続していることを喜ぶ次第です。

2019年2月 平成の最終年に 執筆者記す (問い合わせ先:wc★sotokanda.net ★をアットマークに替えてください)